家族を含めた人間関係で悩んでます

わたしの親、特に母方の親戚は毒家族というのかは分かりませんが私にとって苦手な人間たちです

まず母親は几帳面、潔癖、完璧主義です
一般的に男勝りでさっぱりとした人です
昔から曖昧なことが嫌いで、自分が正しいと思ってる人でした

私が中学生ぐらいの頃、更年期や私の学業が原因で母親は怒りっぽくなりました。
中学生の頃の私は勉強はできず、宿題も全くやらないような人間で先生からよく叱られていました
なぜそうだったかというと、勉強が理解できなくて嫌だったのと趣味の絵を描くのが好きすぎてずっと絵を描いていたからです
そんなことを先生も親も許すはずはなく、毎日怒られていました
その頃から母親の剣幕が恐ろしくて、母親の目を見つめられなくなりましたし、母親は怒るといつも怒鳴り、ときには殴られることもありました
それで、人に怒鳴られると萎縮して今でも泣いてしまったり言葉がしゃべれなくなったりします

父親はなんというか、夢見がちでミーハーな人間です
いつも前向きなことをいってますが、私が不当に母親などに怒鳴られてもあとでアドバイスをくれるぐらいで基本的にはかばってくれません

そして中学三年生の頃、私は急に勉強がすきになり、成績も学年上位になりました
母親は誉めてくれはしませんでしたが、ぴりぴりした空気がなくなり、私はとても幸せでした
そして初めての彼氏がその頃できました

高校生になっても、私は成績はずっと良いままでした
母親は相変わらず怒ると怒鳴ってきましたがさほど気になりませんでした

そして私は高校生になってから自分を解放する喜びを知りました
部活も好きなように4つも兼部したり、ずっと興味のあったセックスも経験しました

ただ、母親は私に彼氏ができるのを許しませんでした
なので、私は隠れて彼氏を作っていました
その頃から彼氏がいることが私の中でステータスになっていました
周りに彼氏がいることを自慢し、彼氏にも大切にされる、好きな4つの部活、下がらない成績、とても輝いていました

ただ、私はその頃から恋愛、セックス依存症のようになり高校生の間に五人の彼氏をつくりました
田舎に住んでいて、同級生の男子は怖くて苦手だったので出会い系で他府県の年上の男性を呼び出して遊んでいました
その頃は彼氏がいるのは自慢だが、セックスは周りに言うもんじゃないという意識があり周りにはあまり彼氏のことは話してませんでした

そしてその高校生の終わりごろ、私は実家にたいして不満がたまっていました
私には弟が二人いて、二人ともサッカーのクラブチームに所属していて週に3日ほど隣県まで練習に通っていました
そのサッカーの送迎はいつも母親がしていて、片道一時間のその送迎とクラブの高い月謝でイライラしているようでした

その頃、私は月のお小遣い2000円、門限19時、バイト禁止、サッカーの日は夜ご飯は弁当、洗濯物をたたんでおく、22時には風呂も入って就寝しておくというルールを課されていました
私は好きなことにお金も時間も使えないこと、ユニフォームを畳んでいるのに偉そうな弟、いつもイライラしている母親に不満がたまっていました

そして母親は、ひとつでも約束が守れなかったり虫の居所が悪いと、出ていけとよく私を怒鳴ったり殴ったりしました
私は理不尽に感じていましたが、母親への恐怖でなにも言い返せず黙っていました
そして母親は機嫌が悪くないときも、彼氏の有無を確認したり私の部活の内容をバカにしたりしました
私の入っていた4つの部活のうち、ひとつは出版部といって小説を書く部活で、私はその部活を廃部寸前から立て直した部長という実績がありました
実家でも小説を書くことがありましたが、母親は大会系だからか文化部を下に見る傾向があり、そんなの自己満足、将来役に立たないとよくバカにされました
親だからって全て正しいとは限らないと、その頃から思い始めました

そして高校の進路を決めるときが来ました
私は作家になりたかったのですが、先生と母親の反対でそのつぎに興味のあったホテルマンになるため専門学校に進学することになりました
私は実家から解放される嬉しさから大阪や東京の学校を調べたり、説明を聞きましたが、一人暮らしはお金もかかるし危険という理由で祖母や叔母の家がある京都の学校にいくことになりました
都会には憧れがあったので、少し不満はありましたが承諾し京都の学校にいくことになりました

しかし、京都にいくまでの間も何か母親の気に障るようなことがあると、学校いくのやめさせる、出ていけといつも怒鳴られました
学校に行けなくなるのは私にとって大問題なので、怒鳴られても反抗せず謝っていました

そして、恋愛面では信用していた友達の策略で好きな人にふられたり、違う好きな人には罵られてふられたりと少しずつ人間不信っぽくなっていきました

また、自分の立ち回りで友達に仲間はずれにされたり、人数あわせのクラス会でひとりぼっちになったり
それを実家でつい愚痴ると、期待するお前が悪いと母親に言われたりして自信が少しずつなくなっていく時期でもありました

高校を卒業すると、叔母の家から専門学校に通いました
ただ、叔母の家に行ってからもお小遣いは月2000円、門限は18時、バイト禁止でした
私は昼間は真面目に学校で勉強し、成績もよかったです
でも、学校以外の時間は男を探して時間を見つけて遊んでいました
私は普通より性欲が強く、さみしがりです
やりたい、と出会い系で募集すればよってたかって優しくしてくれる男といるのがストレス発散でした

しかし、1ヶ月ほど過ごしたある夜、叔母にすごい剣幕で怒鳴られました
きっかけは、叔母が渡してくれたバスタオルを無言で受け取ったこと
礼儀、常識がない、私は旦那を真剣に選んだ、そういうことを言っていたように覚えています
心当たりは、夜中に男と通話して一緒にオナニーしながら喘いでいたこと
それが聞こえていたのかもしれません
叔母の家にいられなくなると親に相談すると、祖母の家に行けと言われました
祖母は少し嫌そうでしたが、受け入れてくれました
そこから約半年ほど祖母の家で過ごしました

祖母の家に行ってもお小遣い、門限、バイト禁止は変わりませんでした
そして祖母も祖父も持病が重く、体調が悪いと私に当たったりよく喧嘩していました
限界を感じた私は二年生になる前に一人暮らしを検討しました
祖母も限界と母親にいったのもあり、生活費は自分でバイトするのを条件に私は一人暮らしできるようになりました

一人暮らしが始まると、バイトするようになったことからお金を自由に使えるようになり、門限もなくなって私は毎日のように男と会って遊びました
セフレでもワンナイトでもよかったです
とにかくセックスしてくれて優しければだれでもよかったです
しかし、傷つくことを言われたり、家のものを盗まれて警察沙汰になったり、私が相手を傷つけることもありました
そしてその頃から軽度の過呼吸と、不安を感じやすい性格になっていきました

だんだん、バイトがしんどくなっていた私はパパ活に手を出しました
本番ありの一回五万円
セックス好きでお金もらえるなら最高だと、思っていました
そして、初めてのあるパパと親密になり月十万の契約をして、私はバイトもせず月十万使いきる自堕落な生活を始めました
パパと契約している間はとても心が安定していて、毎月の充分なお金と男を探さなくてもいい安心感がありました
たまに母親が家に来るのがストレスでしたが、許容範囲でした

そして専門学校2年のときに事件は起きます
一年生の頃、専門のクラスに好きな男子がいました
アプローチの仕方を間違えた私は、その男子に都合よく使われそうになります
初めては学校の中の階段でフェラをさせられ、次はホテルで彼の自分勝手なセックスに付き合いました
二回目のホテルでホテル代を全てだした時点で私は我に帰り、彼を避け始めました
しかし、まだ馴れ馴れしく利用しようとしてくる彼を思いっきり罵倒して、それで関係は終わったはずでした

2年生の夏ごろ、友達が私にラインを見せてきました
内容は去年の彼が、あることないこと友達に吹聴する内容でした
しかも、一年生の当時彼のことを相談していた友達も周りに全て言いふらしていたようで、一部の友達を残して私は信用を失いました

自分の撒いた種とはいえ、さすがにやりすぎだと思った私は先生に相談しました
すると、私の考えの浅さから一番恐れていた、先生が親に連絡するという事態に陥りました

親は彼氏をつくることすら私に許していなかったので、私の受けたことより私のふしだらさを責めました
戦意を喪失した私は先生にもうやめると、伝え、家の中の男の気配を捜索する母親に怯えました
そして母親が諦めて帰った頃には、さらに人間不信は深まっていました

その後、散々私の陰口を言っていた元友達に仲良いふりしてマウントをとられたり、不登校気味になる私にあからさまに嫌な顔をする先生たちがストレスで、過呼吸はさらにひどくなりパパだけで満足していた男女間系もまた再燃して、浮気しないというパパとの契約をやぶって夜な夜ないろんな男と遊びながら専門学校生活は終わりました

その後、私は九州のある離島にある高級ホテルに就職しました
就職してからは人並みに仕事に悩みました
何度もやめたいと思いました
そして、結局一年でやめました

理由は人間関係と不要な労働でした
入社して半年は悩みながらも順調でした
しかし、半年が過ぎた頃から部署の上司やパートさんたちとの関係に悩み始めました
仕事自体は好きでずっと続けたかったです
しかし、仕事はできるがさぼってばかりでシワ寄せを知らないふりする上司、上司と社内恋愛して上司のことしか信じない先輩、プライベートにまで口を出したりことあるごとに上から物をいうパートたちとその尻拭い、使えない同期とその尻拭い、頼りにならない先輩
一人だけ信頼できる先輩はいましたが、限界でした
パートの機嫌をとるのも、上司の気まぐれに付き合うのも、手柄を全て先輩などにとられるのも、教わっていないことで怒られるのも、同期の尻拭いができてなくて怒られるのも全てが不満で
しかも離島なので男遊びもできず、遠距離の彼氏は高い交通費を出して会いに行ってもそっけなかったり、浮気してたりして、お金は貯まらないし気が狂いそうでした

そして私は絵を描くのが好きでした
仕事でたまに絵を描いてと頼まれることがだんだんエスカレートしていき、休憩時間やプライベートを犠牲にしてまで描かなければならないこともありました
ときにはダメ出しされたり、平気で没にされることもありました
ある上司はデザイナーに頼むとお金がかかる、うちお金ないからさ、と言いました
そして、私は無報酬で利用されてることに気付きました

途端にどれだけがんばってもパティシエが新作スイーツつくるみたいに評価されないし、何も見返りも感謝もないことに不満が爆発しました

そして私は仕事をやめました

仕事をやめて、ホテルマンのバイトをしながら絵を描く仕事をしようと決めました
しかし、住む物件は離島からでは探すのは不可能に近かったです
そこで、京都の祖母にしばらく下宿させてくれと頼みました
祖母は快諾しました

どんな仕事をしようか考えた私は友禅職人になろうと思いました
しばらくは週5日、無収入での修行と言われました
週末だけのバイトでは限界があると思った私は、またパパ活に手を出しました
しかし結局友禅の職人は続かず、私は無職になりました
パパ活も嫌悪感を感じてやめてしまいました

私はやめる前に思っていたようにホテルのバイトに応募しました
無事採用され、今は仕事が始まるのを待っています
そして物件も見付かり、再来月からの契約を結ぶことができました

そして、絵の仕事も自分でグッズを作ってネットショップを開くべく
少しずつデザインを作り始めました

全て順調だと感じていた矢先、叔母が家にきました
叔母は昼頃に自室から降りてきた私をじろりとみて、今年亡くなった祖父の仏壇をもくもくと掃除し始めました
私は祖母の洗濯物を干したり、洗濯機の樽洗浄をしたりしていましたがやることがなくなり要らない本を売りがてらお昼ご飯を食べようと身支度しました

階段を下りようとすると、下で叔母が掃除機をかけていました
そこは私がさきほど掃除した場所でしたが、なんとなく叔母のオーラが怖かったので、ちょっとごめんなさい、と横を通りました

すると叔母がすごい剣幕で怒鳴りました
内容は、お前は横を通るとき一言もないのかから始まり、常識がない、服がダサい、芋くさい、泣いたら済むと思っていてずるい、アバズレ、自分の都合の良いように親に告げ口する、京都にふさわしくない、京都が汚れるから出ていけと怒鳴られました
そして、母親は苦労してないから自分が正しいと思ってる、すぐに怒鳴って話をきかない、祖父のことなにもしないと言ってくる、父親は良い大学でてるくせに頭が悪い、などいろんなことを怒鳴り散らしました
祖母も散々、私の母親や父親、叔母の全員の悪口を言っていて、私の味方といっていたのに叔母に同調して合いの手を入れるように私を罵りました

私は母親のトラウマから叔母にたいしても言葉が出てこず、ただ涙をこらえました
そして叔母は母親に電話をかけ、電話口で叔母と母親と祖母は激しく罵りあっていました

私はもう考えが思い付かず、祖母が手のひら返しした理由も叔母の怒る理由も納得できず、出ていきますと言いました
そして母親が迎えに来るというので、たまに放心しながらなんとか荷物を段ボールにつめました

段ボールに積めてから、ガムテープがないことに気づき、私は祖母に声をかけずにコンビニに行きました
コンビニにいく間、涙がこぼれそうなのを我慢しました
無茶苦茶なことを言われて腹が立つのと、うまくいきそうだった新生活をめちゃくちゃにされたのとでもうなにも考えられなくて
交差点の花壇に座って、ただネットを見てました
友達の一人に連絡しましたが、愚痴る元気もありませんでした
トランクルームとか軽トラのレンタルをしばらく調べていましたが、とにかく段ボールにガムテープ貼らないとと思い帰宅しました

帰ると両親がいました
母親はさっきまで怒鳴りあっていた祖母と笑いながら話していて
実は私を追い出す芝居だったのでは、とも思いました
なんとか段ボールにガムテープを貼り、荷物を運び出すと母親に、おばあに挨拶せえと言われ、私はしぶしぶお世話になりましたと言いました
すると祖母は、恨んだらあかんで、笑ってながさなあかん、と言うので
笑えんわ、と返すと
また色々なにか言ってきましたがもう忘れました

なんだかもう色々と意味が分からないのと、両親も祖母も叔母も私が全て悪いと口を揃えて言うのでなにもかんがえたくなくなりました

そして、結局実家にひとまず帰ることになり、荷物を積んで一人車に乗れないので、今は一人で電車にゆられてます

全部かいて少しすっきりしました
文脈的に書けなかったこともあります

長々と失礼しました
言葉足らずなところもありますが、感想とかもらえたら読んで参考にします